超古い機械 を少し学んだのであった

大先輩の矢花さんありがとうございました のである
この受信機の正式な名前は、「九九式飛五號受信機」だそうである
九九式といえば当時は皇紀で数えていたので、1939年(昭和14年)である。
年式の名称は設計制定された年とのことなので、設計制定が昭和14年と言うことなのだろう

私事であるが亡き父が大正14年生まれなので、父が現在の中学生の頃に設計制定された機械ということである
戦前の事柄については、その世代の方々のお話をお聞きするか、書物を読むしか私には知る手段は無い
私の出身地では、いわゆる電灯線は大正時代には通っており電灯は使えたらしい
けれど、ラジオは旧家などの一部しか所有しておらず、電話なぞ有る所は役場と大会社位であったらしい

その時代での無線通信であるので、一般人からすると全く雲の上の話であったのだろう
そうした中で、戦略技術として主要国は無線技術の向上に取り組んでいたことが、記事を見て勉強出来たのである

今回、私も初めて知ったのがUt6F7真空管である RCA製の球を国内でライセンス生産してそうであるが、陸軍の受信機ではいわゆる標準球となっていたのも今回知ることが出来た
海軍では受信機によって使用している球が異なる
どちらが良いかは私には解らないが、もし当時の動作する球が入手出来たら一度はそれを使ってみたいとは思う

当時は真空管自体とても高価なモノであったので、一般人がおいそれと弄って遊ぶものでは無かったのであろう(当時のお大尽は除く)
しかし、時間の流れとともにその高価だった真空管も第一線を殆ど退き趣味として扱えるモノとなった

そう言えば私が小学生の高学年の頃、初歩のラジオの広告で小学生にもアマチュア無線技士の資格が簡単に取れるとの広告で、親に泣きついて通信教育を(受講では無い)買ってもらった
少年が心踊らせていた所に到着した教科書は、本当に教科書であったのである
3冊セットで、基礎・無線工学・法規なのであったが、工学の増幅回路の解説は真空管で解説してあった
んなモン小学生に解る訳ない(少なくても私には)、結局従免取得は中学生の終わりだったような気がする
今回の記事でもう一度、初心に帰って真空管の勉強をしてみる良い機会かと思ってしまったのである

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<私の家にある数少ない真空管たち 6JS6A(右) 6AR5(左) 下は昔愛用した計算尺 思いっきりアナログである>

但し戦前や戦中の希少な真空管は文化遺産であり、次世代に繋ぐモノと思うのである
私みたいなビギナーは、比較的数の多いMT管あたりで遊ぶのが無難そうである

私自身、多感な頃であった1970年代のモノに興味を惹かれるのであるが、亡き父が多感だった頃の技術にも興味を惹かれるきっかけとなった、大先輩の矢花氏には感謝したいのである

飛5号受信機 と諸先輩方の努力

§5 あとがき 

兵器として考えた場合、No1を目指す必要があります
No2ではその性能差を量なり時間なりで補填が必要となり、人命が掛かっている戦場の場合では致命傷となりかねません。
工業技術全体が発達していた米国では、更に無線技術を軍事戦略として膨大な資金を投入し大きく進化させました
砲弾の中に電波反射による金属近接探知回路を載せて実用化までしています (VT信管と呼ばれています)
米国のように、回路に適した真空管を最適な方法で、精度の高い部品や信頼性の高い線材などを潤沢に使えた国とでは、どうしても性能差があったと思います。

旧陸軍は戦場でのメンテナンスを考え、回路を工夫し真空管を6F7の1種類とした無線機を作ったのではと考えています。
いろいろな問題点はあるにせよUt6F7だけでスーパーヘテロダイン受信機を作り上げた先輩技術者の方々には深く頭が下がります。
しかしながら日本ではこの飛5受信機は昭和14年当時、最高の性能だったと思います。
更に昔の方が今より遥かに人工ノイズは少ないし、無線局の数は無線局統制下でもあり比較になりません
その環境下なら、軍用無線機として十分な活躍が出来ていたのではと安易に想像できます
そして、飛5受信機は現在に於いても7MHzのAMやCWを聞くには十分な感度です。

昭和19年の飛5号受信機の目標生産台数は1,000台となっていますが、おそらく1/10も生産できなかったのではないかと思います。
これだけ手の込んだ物です、量産品ですから100余の部材一つ無くても完成しませんし、必要な部材が必要な時に集められなかったのではと予想しています、また腕の立つ職人さんの匠の技も飛5号受信機を組み立てるには必要です
更に、無線機を保守する人材が逼迫していたと本で読んだことがあります。
人材は一朝一夕で育ちません。

この無線機を調べて驚いた事は、半田付けの素晴らしさです。
70年以上経過しているにもかかわらず1箇所も半田不良がありません。
昔の半田ごては、ごついニクロム線が中に見えるタイプと思います。
今、我々は普通に温度管理されたコテを使っていますが、昔はありませんでした。
半田付の職人さんのすばらしさです。
もちろん米軍の機械のようなからげ配線などありませんので、本当に半田付の職人さんの凄さが感じられます。
(しかし米国は組み立て作業を徹底的に分析して、マニュアルに従えば誰でも作れるようにして量産したのはすごい技術です)

先人が苦労して作り上げたこの貴重な当時の戦時遺産を、大切に動態保存をしたいと思っています。
現在の無線技術は戦前からの先駆者から引き継いだ技術を基盤に、更に積み上げてきたものと考えています
人・金・モノの投入量の違いはありますが、戦前の日本でも無線技術の基礎研究はそれなりに進んでいました、その知見が戦後の電子立国のベースとなっています
我々が今、無線を楽しめるのも先輩方々の努力の賜物と思い感謝をしています。
改めて先人の偉大さに敬意を表したいとおもいます
私は真空管が好きで、送信機や受信機を何十台か趣味として製作して楽しんできました。
‘JA0BZC Amateur Radio Homebrew with vacuum tubes‘ と題して、制作内容をインタネットで公開しています
URLは下記となりますので、是非アクセスして見て下さい

真空管を使った製作と言えば、オーディオと思われがちですが、オーティオは受信機のほんの一部です。真空管本来の使い方をしてアマチュア無線を楽しみませんか!

最後に、この飛5の甦りにあたりお世話になりました
JA1BA,JA1HU,JR1KQU,JAOGWK
JH0WJF,各局にお礼申し上げます。

73´de JA0BZC

参考文献
真空管半代記 JA1FC  藤室衛
東京文献センター
真空管談義  JA1AYZ 有坂英雄 有朋社
魅惑の軍用無線機・第1巻  ㈱三才ブックス