1980年代の精密技術の結晶

今回も無線機以外のネタである
私が1980年代に憧れた機械の一つに銀塩カメラがあった
現代においては、デジタルカメラに移行して殆ど銀塩カメラを使う事は無くなった
しかし当時は銀塩一眼レフが多く販売されており、銀塩一眼レフもオートフォーカス化のされ始めた頃であった

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このCANON NewF-1は、AE制御がマイクロコンピュータ制御であり、シャッターは基本電子制御である
(電池切れの時は機械式で1/90でシャッターを切れる)

素晴らしいのは、ファインダーであった
このファインダーは当時オプションとして、多数のスクリーンが販売されておりマットスクリーンとの組合せで使っていた
ピントの山が解りやすく、とても感激したものであった

また基本はメカニカルカメラであり、その精密感は持っているだけでも幸せな気持ちになれる
レンズは古くからのマニュアルフォーカスレンズのFDレンズラインである
FDレンズラインも精密感が高く、私の能力からすると超オーバスペックであるFD50mm/1.2L,FD85mm/1.2L,FD24-35/3.5SSCをメイン使用していたのであった

これらのレンズは、単に欲しかっただけであり、その使いこなしは出来なかったと思う
けれど、超オーバスペックなレンズを欲しくさせる、魅力とマーケティングがその時代の牽引力になっていた思う

無線機であれカメラであれ欲しいモノは欲しかった、魅力がある製品が沢山あった良き時代であった

1970年代に一世風靡したカメラ 連写一眼 CANON AE-1

今回は1970年代のよもやま話、1976年発売 CANON AE-1 なのである

当時は、露出コントロールの電子化が進行していた時代である

その中で、カメラの中に CPU (4bit) を内蔵した、世界最初のカメラだったと記憶しているのである

当時の自動露出は、撮影者が絞りを最初に決めてシャッター速度が自動になる 絞り優先AE か 撮影者がシャッター速度を最初に決めて絞りが自動になる シャッター優先AE のどちらが良いかを真剣に議論した時代である

CANON AE-1 はシャッター優先AEであった

http://cdn.snsimg.carview.co.jp/carlife/images/UserDiary/3756740/p1.jpg?ct=4df44d763aa3

<写真はAE-1とFD28mm f3.5 , FD50mm f1.4 , FD135mm f3.5 未だに現役である>

1975年はFT-101Eが発売された年であり、その翌年に鳴り物入りで登場したカメラである

AE-1は当時FPCの上にAE回路を実装しており、今から考えると当時は先進的なカメラだったと思うのである、そのおかげで部品点数と組み立てコストを削減出来、比較的リーズナブルな価格で自動露出のカメラが入手出来たのであったのである

AE-1は絞りをAモード(Auto)にして使うのが一番であった 通ぶってマニュアル露出をしようとすると、絞りの値はファインダーには出ないのとシャッター速度指示はメータで値をダイアルセットすることになるので、事実上マニュアル露出では使えない機械であった

結局カメラ道楽は、マニュアル露出がきちんと出来るF-1に行き着く事になってしまう

でも、この頃は発売されるモノが輝いて見えたとても良い時代だった様な気がするのである